四国遍路とは?お遍路の意味
お遍路という言葉は聞いたことがあっても、「実際にはどんなもの?」「どんな意味があるの?」「どうして人々は巡礼するのか?」と疑問に思う方も多いのではないでしょうか。ただ歩くだけの旅ではなく、そこには長い歴史や信仰の想いが息づいています。そんな「なぜ人々は四国を巡るのか?」その意味や目的を、歴史と現代の視点からわかりやすく紹介していきますね。
四国遍路とは?お遍路の基本と巡礼の意味

お遍路に興味あるんだけど、
実際お遍路の意味や目的って知っておるかい?

やってみたいと思うけど聞かれるとわからないね💦

うむうむ。お遍路は、旅行で行く人たちも増えてはおるが、「心の旅」なんじゃ。昔は修行僧たちが空海の足跡をたどりながら自分と向き合う修行として始まったんじゃよ。
それが今では願掛けや健康祈願・亡くなった方の供養・自分探し、リフレッシュなど、目的も形も自由になったおるんじゃ

たしかに、最近は若い人や女性のお遍路さんも多いって聞くものね。

白衣や杖を持たなくてもいいの?

もちろんじゃ!服装やスタイルに決まりはない。
大切なのは「巡る心」なんじゃよ
お遍路ってどんな意味?
お遍路とは、四国に点在する八十八のお寺をめぐることで、煩悩をひとつずつ浄化していく「心の修行」
道中の出会いや自然、そしてお寺での祈りがいつのまにか自分を見つめ直す時間になっていきます。現代では、車やバス、ネット情報を活用して気軽に始められるようになりましたが、「歩く」「祈る」「感じる」という原点は今も変わりません。
約1200年も昔、弘法大師がまだ空海だったころ、修行の地として阿波(徳島県)土佐(高知県)伊予(愛媛県)讃岐(香川県)に今の88箇所の札所を開創しながら、全長1400キロメートルに及ぶ壮大な距離を練り歩いて修行したとされるのが四国遍路。
当初は修行僧がその大師様の歩かれた八十八か所の足跡をたどり、各霊場を巡礼することを遍路といい、大師様に対する信仰の高まりと共に今では、日本だけでなく世界中から多くの方が大師様ゆかりの地として足を運ぶようになりました。
巡礼ファンならお詳しいと思いますが、四国遍路はキリスト教や
イスラム教の聖地巡礼のように最終目的地を目指す「往復型」の巡礼と異なり四国一円に展開する札所を周る「回遊型」の長距離巡礼路です。

一番霊山寺から、八十八番札所大窪寺まであり全部巡ることを結願
八十八ヶ所の後、最後に高野山まで巡り終えたら満願といいます。
どうして八十八か所なのでしょう。
除夜の鐘は百八回で一人の人間のもつ煩悩が百八個あると言われています。
鐘が一つ鳴るごとに一つ消して来年は幸せな一年を過ごせますようにという願いが込められているといいます。
では、お遍路はどうして八十八?
こちらも人間の煩悩の数と言われています。
こちらも諸説あるようで、一般的には昔から「八十八」という数は、人の煩悩(ぼんのう)を象徴する数といわれています。
仏教では、私たちの心には108の煩悩があるといわれますが、そのうち日常生活の中で現れる代表的なものを「八十八」として表したともいわれています。また「米」という漢字に通じるから五穀豊穣を祈る数と言われたり、男性四十二歳、女性三十三歳、子供十三歳の厄年の合計から八十八そんな風にも言われてます。
大師様がどういう意味から八十八か所にされたのかは諸説あるので今となってはわかりませんが、この「八」という数字は何においても末広がりで縁起よく、テレビや新聞もない時代、昔の方達がこういう言葉や意味を大事にしてこられたのは確かです。
四国遍路は国籍や宗教・宗派を超えて誰もがお遍路さんとなり、弘法大師とともに「同行二人(どうぎょうににん)」で巡ります。
「救い」「癒し」、また「供養」や「修行」など、それぞれの想いを込めて一歩ずつ次の札所を目指し、自分に向き合う時間と向き合います。
今は昔と違って難解な書物を読んだり、般若心経を解釈し一般人が苦行を積むと言う事を求めたりはありません。
それでも、霊場を遍路すると言う事は、一時的にでも聖域を歩くわけです。それなりの作法や決まりごとがあります。祈りを大切にしご本尊様、お大師様にお参りするのです。
心が洗われたり、人生において変革を起こす方もいらっしゃいます。
また、お遍路にはたくさんの方のおかげがあります。
様々なご当地で、食事や宿、お手洗いを借りるでしょう、汚さないように気をつけたり、車の場合、朝早く民家近くではクラクションやエンジン音に気をつけたり、何人かで参るなら声のボリュームに気をつけたり、自分の出したごみは持ち帰るなど、マナーを守って感謝の気持ちを忘れずに、お遍路さんの自覚をもってお参りしましょう。

